墨と文


「案ずるな。大事なのは気持ちだ、気持ち」
「でも心を表すというじゃないか!」
「だぁから、その一生懸命な気持ちが表れるんじゃないか?そうだろ、なあ孫よ」
「孫言うなっ!」
二足立ちになって、ポンっと肩を叩く白いもののけに、小机に向かってあぐらをかいていた少年は怒る。
彼の名を、昌浩という。
そしてもののけは、彼からもっくんと呼ばれている。
「だーって彰子への文の返事、書き出すのに時間は掛かるわ、書いてもすぐに紙をぐしゃぐしゃにするわ、全然進まねーんだもん」
「仕方ないだろ、俺字、下手なんだから」
「仕方なくなんかないだろ、気持ち込めて書けばいーんだって!早く出してやれ!」
もののけは、その体驅に似合わずに腰に手を当て、もう片方の手でびしっと少年を指す。

そうなのだ。御船山で重傷を負って寝込む昌浩を労って、彰子はよく見舞いの文をくれる。
けれどどうも書きあぐねて返事が書けぬまま、彰子からまた優しい言葉の載った文が届くのだ。
いつも文面は優しく、とても体を心配してくれる。
けれど彰子のことだ。きっと、自分のせいだとか変な心配もしているに違いない。
だから早く返事を出して、心配ないよと言ってやりたいところではあるのだが。
「うう…っ、…だから、字は人を表すと…」
「同じやり取りもこれで五つを数えた。よし、ならおれが代わりに書いてやろう!」
「やめろよな!というか、もっくん筆持てないだろ」
「持てるぞ!」
そういうと、少年のひざもとに入り、半紙に向かう。
筆を両手で持って墨をつけ、いそいそと何かを書き始めた。
しかし、両手持ちは見る側からすると少々危なっかしい。
筆を取り零してしまったらどうするのか。

少年がハラハラしながら見つめていると、よしと聞こえた。どうやら書き終わったらしい。
どれどれともののけの頭の上から首を覗きこむと、なるほど、何か書いてある。


あきこへ
ありがとう、おれは元きだ。
もっくんは今日も可わいくてかっこいいぞ。
まさひろより


「もっくん」
「おう、礼ならいいぞ」
「なんだよこの字!俺より下手だぞ。ひらがなばかりだし。それに書き出しはいいとして、なんで俺がもっくん可愛いなんていうんだ!」
「両手じゃ画数多い字は書けないんだ!それに俺はこんなに優しくてキュートなんだから、言って当然だろ」
「ええい、もう俺書く!」
膝の上のもののけの首の後ろの皮を持って明後日へと払うと、筆を持つ。

今度は途中つまづきつつも、なんとか最後まで書けた。
もののけからの茶々はなく、最後まで見守ってくれたらしい。
コトンと筆を置くと、両手を組んで身体を伸ばした。



彰子は自室の畳の上で、匂い袋を手持無沙汰に持て遊んでいた。
匂いだけではなく、見舞いに花の一輪でも届けて、そして昌浩の顔を見に行けたらどんなにいいか。
そのとき、侍女がにこにこしながら、こちらへやってきた。
そうか、きっと。
「昌浩からの文ね!」
「ええ、そうです、彰子様」
少女は花が咲いたような笑顔で腰を上げた。
「まあ、お座りになっていて構いませんのに」
侍女は優しくそう笑いながら、両手で持っている文を彼女に差し出した。
少女は手紙を受け取ると、はやる気持ちを抑えて、そっと封を切った。


拝啓
彰子へ

文をありがとう。
とても元気が出ます。
一通一通、大切に保管して、何回も読み返しています。
きちんと返事を書けないでいて、ごめん。
頑張って返事書きます。

そういえば先日、塀の向こうに車之輔が遊びに来ました。
六合というじいさまの神将に手伝ってもらって、塀の向こうの車之輔と話せました。
牛車の妖怪なんだけど、優しくて、乗り心地はちょっと痛いけど速くて、頼りになります。
彰子にも会わせたいです。

もっくんが彰子に会いたがっています。
俺も会いたいです。
だから早く元気になるよう、努めます。

敬具
昌浩


やっぱり昌浩の文は、いつも楽しそうだわ。
みんなに好かれているのね。
拙くてでも、元気よと伝えたいのが分かるわ。
それに、ふふっ。
まるで恋文みたい。
会いたいだなんて。
私もよ、昌浩。

少女は口許に袖を当て、くすっと笑んで、薄く頬を染めた。

その夜、少年は安心顔で、もののけの温もりを右腕に感じながら眠りについたという。







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