不思議の国の。


たくさん積み重ねられた絵本。
その山は、こども向けのかわいい動物やキャラクターの描かれた表紙の本ものが多い。
こども向けの本で、たとえ一冊が薄くても、重ねればそれなりの重さになる。
郁はそれを抱えて、児童室の配架をしていた。
その日は、堂上班は館内業務の日だ。
児童室は、こどもたちが使うためか、本が元の場所に戻ってくることは少ない。
ほとんどが、ぐちゃぐちゃに本棚に押し込まれているのが常だ。
そろそろ手の中の山も片付いてきたな、というところで郁は、山の一番上の本を手に取って棚にしまう直前、ふとその本に見入った。
懐かしい。小さい頃よく読んだ。不思議の国のアリス。
同じ作品の絵本になら、幾度となく、図書館でも書店でも見かけたが、自分が読んでいたのとまるっきり同じ絵本、というのは初めてだったので、つい見入ってしまったのだ。
「おい、さっさと動けよ」
そう声をかけてきたのは手塚だ。
「ああ、うん」
このプチ堂上ッ、と郁は心の中でささやかにそう付け加えて、もしも業務後に貸し出されていなかったら借りようかな、などと思いつつ、手にあったその本を棚にしまった。



たまたま、事務室には郁と小牧しかいなかった。
コーヒーを片手に席に戻ろうとした小牧は、郁のデスクの上にあるものに気づいた。
「笠原さん、絵本借りたんだね」
日報を書いている郁の横に置いてある絵本には、図書館のシールが貼ってあるため、すぐに図書館から借りてきたものだと分かる。
「あ、はい。そうなんです。家にある絵本と同じものだったので、つい懐かしくなっちゃって」
郁は顔を上げて答えた。
「不思議の国のアリスかぁ。最近、アリス物流行っているらしいね」
と言う小牧の情報は、恋人で学生の毬江からのものだろう。
「そうですね、アリスネタの作品多いですよねー」
などと雑談を交わしつつ、小牧は席に着いて手を動かし始めたので、郁もペンを走らせることに意識を集中させた。

それからしばらくして、書類が片付いたのか、小牧が席を立った。
「それじゃあ俺、隊長室に用事あるから。二人が戻ってきたらよろしく」
「はい、分かりました」
書類を抱えて、小牧は事務室から退室していった。
それを見送ってから、郁は再び日報に向き直った。

声が聞こえて、はっと顔を上げると、廊下から手塚の声が聞こえた。
「急げ、急げ!」
その切羽詰った様な声から、何かあったのだと、郁も事務室から飛び出て、手塚の後を追う。
「手塚、どうしたの? 何があったの!」
「急げ、急げ」
「だーかーらぁ!」
半ば機械的に急げ、と連呼しながら、手塚は走っていく。
郁も負けてはいられない。すぐに追いついて隣に並ぶが、手塚はちらりともこちらを見ようはとしない。
「ちょっと手塚!」
郁が手塚の方ばかりを見て走っていたのが悪かったのか。
なんにしろ、足元に注意が行き届いていないのは事実だった。
ひょいっと、突然穴に落ちたのだ。
図書基地の廊下のど真ん中で。

落ちている。

郁には、それだけが分かった。
自分がいきなり、関東図書基地の廊下で“落ちる”なんて、階段くらいしかないのだが、それにしたって、落下時間は長すぎやしないかと思った。
そもそも、前に階段から落ちたときは、階段の上をごろごろ転がり落ちて行ったような気がするのだが、そんな感覚は一切なく、本当に足元から“落ちて”いるのだ。
しかも周りは真っ暗だ。
もし本当に穴から“落ちた”のなら、それが道理なのかもしれないが…。
そもそも、こんな形で穴に落ちたことなんてなかった。

って!
穴って…穴って…―――――。
「穴ァ―――――!?」
今さらながら、郁は腹の底から叫んだ。







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